今日はひなまつり
2006年 03月 03日
今日はひなまつりですね☆
私は小さな頃、ひなまつりが嫌いでした。
それは家にちゃんとしたおひな様がなかったからでした。
ひなあられも、ちらしずしも、もちろんありませんでした。
でも、ガラスケースに入った「藤娘』がその頃になるとお蔵からだされ
我が家のおひなさまがわりに飾られるのでした。
お隣の家にみさちゃんという幼なじみがいるのですが
この子の家には7段飾りの素敵なおひな様がありました。
とてもうらやましかったのですが
私は母にそれを伝えなかったように記憶しています...。
いいな、いいな、みさちゃんはいいな、どうして家にはおひな様がないのだろう?
おひな祭りになるたびに、そういう
悲しいとも、恨めしいとも取れる思いを持った幼い頃の私でした。
ある時母が話してくれたことがありました。
そう、長女が生まれ、おひな様を買わなくちゃね〜という話になったときのことです。
何気なく私がいいました
『家にはちゃんとしたおひな様がなくて小さい頃嫌だったな〜』と..
すると母が
「おばあちゃんがね、7段飾りはかさばるし、しまうのも大変だし、必要ない、この藤娘がいい、と選んで、買わせてくれなかったのよ」と話してくれました。
「それがずっとあなたに申し訳なかったわ...」と
だから私の娘にはほんとうに立派な立派なおひなさまを買ってくれたのでした。
母も父も、
その頃足を悪くして臥せっていた祖母も一緒にお店に足を運んでくれて
みんなで選んで私の娘におひな様を買ったのでした。
とても楽しいひとときだったと10年前のことですが今でも胸が暖かくなる思い出です...。
母はおひな様を買ってくれたかったのです。
でも事情があって買えなかったのでした。
そうか〜お母さんは買ってくれたかったのね..でも買えなかったのね....
なんだ,...そうだったのか〜
それを知った時、何かがふっと楽になりました。
そして「ごめんね、お母さん、お母さんも悲しかったのに責めてしまって..」と伝えていただろうな..今ならば...そう思います。
その時はその気持ちを表現する言葉を知らなかったけれど
それが『癒された」という感覚だったのだと思うのです。
「知り得なかった真実を知る事で
私たちはほんとうに深く癒されます...。」
今では『藤娘』のお人形を大事にして
私が大きくなるまで家の床の間にお節句のたびに飾ってくれた
祖母と母を誇りに思います。
きらびやかなものではなくても
贅沢でなくてもいい
自分の選んだものを大切にするという心を私は祖母に、祖父に教えてもらいました。
それはほんとうに深い愛でした。
そして母にも、とてもとても愛してもらいました。
私の思いをかなえてあげたかった...
それはほんとうに深い母の愛でした
そういった人生に散りばめられた沢山の愛に
一つ一つ気づかせていただくたびに
私の人生はほんとうにすばらしかった...という思いに満たされます。
私はとても愛されて育ってきました。
それは今も一緒です。
夫に,子供に愛されています。
今年はおひな様を出す事はなかったけれど
ほんとうに幸せな今日のひなまつりでした。
家族に愛された私...
その愛は様々な形だったけれども
どれもこれもキラキラと輝く愛でした。
優しい愛も、厳しい愛も
すべてが愛でした。
私は小さな頃、ひなまつりが嫌いでした。
それは家にちゃんとしたおひな様がなかったからでした。
ひなあられも、ちらしずしも、もちろんありませんでした。
でも、ガラスケースに入った「藤娘』がその頃になるとお蔵からだされ
我が家のおひなさまがわりに飾られるのでした。
お隣の家にみさちゃんという幼なじみがいるのですが
この子の家には7段飾りの素敵なおひな様がありました。
とてもうらやましかったのですが
私は母にそれを伝えなかったように記憶しています...。
いいな、いいな、みさちゃんはいいな、どうして家にはおひな様がないのだろう?
おひな祭りになるたびに、そういう
悲しいとも、恨めしいとも取れる思いを持った幼い頃の私でした。
ある時母が話してくれたことがありました。
そう、長女が生まれ、おひな様を買わなくちゃね〜という話になったときのことです。
何気なく私がいいました
『家にはちゃんとしたおひな様がなくて小さい頃嫌だったな〜』と..
すると母が
「おばあちゃんがね、7段飾りはかさばるし、しまうのも大変だし、必要ない、この藤娘がいい、と選んで、買わせてくれなかったのよ」と話してくれました。
「それがずっとあなたに申し訳なかったわ...」と
だから私の娘にはほんとうに立派な立派なおひなさまを買ってくれたのでした。
母も父も、
その頃足を悪くして臥せっていた祖母も一緒にお店に足を運んでくれて
みんなで選んで私の娘におひな様を買ったのでした。
とても楽しいひとときだったと10年前のことですが今でも胸が暖かくなる思い出です...。
母はおひな様を買ってくれたかったのです。
でも事情があって買えなかったのでした。
そうか〜お母さんは買ってくれたかったのね..でも買えなかったのね....
なんだ,...そうだったのか〜
それを知った時、何かがふっと楽になりました。
そして「ごめんね、お母さん、お母さんも悲しかったのに責めてしまって..」と伝えていただろうな..今ならば...そう思います。
その時はその気持ちを表現する言葉を知らなかったけれど
それが『癒された」という感覚だったのだと思うのです。
「知り得なかった真実を知る事で
私たちはほんとうに深く癒されます...。」
今では『藤娘』のお人形を大事にして
私が大きくなるまで家の床の間にお節句のたびに飾ってくれた
祖母と母を誇りに思います。
きらびやかなものではなくても
贅沢でなくてもいい
自分の選んだものを大切にするという心を私は祖母に、祖父に教えてもらいました。
それはほんとうに深い愛でした。
そして母にも、とてもとても愛してもらいました。
私の思いをかなえてあげたかった...
それはほんとうに深い母の愛でした
そういった人生に散りばめられた沢山の愛に
一つ一つ気づかせていただくたびに
私の人生はほんとうにすばらしかった...という思いに満たされます。
私はとても愛されて育ってきました。
それは今も一緒です。
夫に,子供に愛されています。
今年はおひな様を出す事はなかったけれど
ほんとうに幸せな今日のひなまつりでした。
家族に愛された私...
その愛は様々な形だったけれども
どれもこれもキラキラと輝く愛でした。
優しい愛も、厳しい愛も
すべてが愛でした。
by aroma_ange
| 2006-03-03 23:15